公認会計士 中田博文のブログ

M&Aの財務税務DDと価値評価を考えながら整理していきます。

財務・経理担当者のためのM&A(5)

第5回

運転資本(Working Capital)分析

前受金の会計処理

  • 前受金は、商品・サービスの販売に先立ち、顧客がその代金の一部または全部を納品前・サービス提供前に支払う場合、当該金額を一時的に負債計上するための勘定科目です。
  • スポーツクラブ、エステ、学習塾、英会話スクールに入学する際に、月謝の1~12ヶ月分をサービス開始前に支払いすることが多いと思います。また、不動産業において、テナントは、賃料の数ヶ月分を入居前に支払います。(入学金、敷金礼金とは別です) このサービス開始前の支払いを受領した対象会社は前受金に計上します。
  • そして、対象会社は、サービス提供に応じて、前受金を収益に振り替えます。なお、対象会社独自の会計処理をしている場合もあるため、財務DDの過程で、きちんと収益計上基準(収益計上パターン)を確認するべきです。 

M&Aにおける前受金の取扱い

  • 会計的には、前受金の収益計上基準が論点となりますが、M&Aでは、これに加えて前受金の返金可能性が論点となります。この返金可能性の有無が、前受金を運転資本とネットデットに区分するメルクマールとなります。以下、この点を説明します。
  • 顧客がサービス契約を解約する場合、前受金の一部が返金されることがあります。例えば、英会話スクールで1年契約をして1年分の受講料を契約時に支払ったにもかかわらず、1ヶ月で挫折してしまった場合、前受金の一部が返金されることがあります。同様のケースは、エステなど長期契約をする場合に多いです。
  • この返金は契約に基づいて行われるため、財務DDの過程で契約書の返金条件を確認することは必須なのですが、契約上返金不可(法的に有効)であるにもかかわらず、顧客からの返金要求に応じているケースがあるため、形成(契約書)と実質(実態)の両面での確認が必要です。
  • 不動産業など返金実績がほとんどないケースでは、以下の論点は問題になりません。返金実績がある場合、手間と時間のかかる分析が必要となるので、少し覚悟が必要です。
  • 前受金の返金実態を確認した後、基準日時点の前受金のうち、顧客に返金される可能性のある金額(返金予定額)を試算します。具体的には、前受金の返金実績データを用いて、返金予定額を推定します。
  • 以下に具定例(前受金に6ヶ月先までの収益が計上されるケース)を示します。

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  • 過去のある時点の前受金(1,320)が、収益(1,175)と返金(145)のどちらで処理されたかを把握して、返金実積率(11%)を算定します。この実積率を月次平均又は移動平均の実績値としたうえで、期末時点の前受金残高に乗じて、返金予定額を算定します。
  • そして、この期末時点の返金予定額をネットデットとして、株式価値を算定する際には事業価値から控除します。
  • なお、過去期間の運転資本の分析では、前受金の期末残高(グロス)から返金実績を控除した調整後の前受金残高(ネット)を用いて、運転資本の水準、キャッシュコンバージョンサイクル、季節性等を分析することとなります。

事業計画上の前受金の取扱い

  • 対象会社の事業計画において、前受金残高がどのように設定されているかを確認します。
  • 事業計画の売上高は返金予定額を控除した金額であり、この売上高に数%を乗じて1年前の前受金残高とするケースが多いと思います。この場合、事業計画期間の前受金残高は返金予定額控除後のネットとなっているため、これ以上の作業は必要ないです。
  • しかし、例えば、実績最終年度の前受金残高(グロス)と事業計画1年目の売上高の比率を用いて将来の前受金残高を算定しているケースでは、前受金残高に返金予定額が含まれてしまうため、ネット残高への修正が必要となります。
  • この修正は、事業価値に与える影響は軽微でないと思われるため、きちんと対応する必要があります。なお、M&AのQAプロセスの時間的制約を考慮すると、早い段階で問題点を対象会社に伝えたうえで、事業計画の修正を依頼することが適当と思います。

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今回のまとめ

  • 以下の6点になります。
    • 対象会社に前受金が計上されている場合、会計処理だけでなく、返金実績の有無を確認する。
    • 返金実績がある場合、過去の実績データを用いて、基準時点の前受金残高のうち返金予定額を試算する。(DDのタイミングが基準日から離れているため実績値が分かる場合、返済予定額の試算は不要です)
    • 基準時点の前受金の返金予定額(又は実績値)をネットデットとして、事業価値から控除して株式価値を算定する。
    • 過去期間の運転資本の分析において、返金予定額を控除したネットの前受金金額とする。
    • 事業計画期間の前受金残高の設定方法を確認して、返金予定額が含まれる計算ロジックである場合、対象会社に問題点を伝えて修正を依頼する。
    • DCF法において、基準時点の前受金残高を、ネット残高として、運転資本の増減を計算する。

 次回は滞留債権、滞留在庫について考えます。